板倉雄一郎事務所の企業価値評価合宿セミナーが先週末で一区切りを迎えた。
2005年の年初に僕はこのセミナーを受けた。
今回の区切りが30期ということだが、僕は3期生。
いま思うと結構早くに受けたのかもしれないが、それでも僕の中での行動は遅すぎたと思っている。
僕は2001年、当時「ほぼ日」で突然始まった伝説のエッセイ「
懲りないくん」で板倉さんを知り、マジメに嫉妬し(笑)、そして「社長失格」を読み、その後、当時僕がプロジェクトリーダーとして推進していた半導体ビジネスのJVが入居していたインキュベートセンターに板倉さんが講演に来て、本人に初めて会った。
一番前の席でイジられたことを今でも覚えている(笑) 恐らく2002年だったと思う。
その後の僕は台湾と日本を行き来し、新規事業がやがて撤退に追い込まれ、自分の行く末を悩むようになった。
そして、路頭に迷わず・・・今の仕事についた。
2004〜05年にかけて板倉さんがご自身の失敗を「しゃぶりつくて」創り上げた企業価値評価セミナーがスタートした。
当時でも一泊二日で20万近くしていたこのセミナーを受けるのは、清水の舞台から飛び降りる覚悟だった。
それで、合宿形式としては初の2期を逃し、散々悩んで3期に申込み、参加をした。
僕としては散々悩んで二の足を踏んだ末の決断が05年2月だったわけで、遅すぎた決断だった。
でも、それが奏功して、いまの自分があると言える。
05年はホリエモンによるニッポン放送買収騒ぎがあった年。
「会社は誰のものか?」という議論開始元年とも言える。
板倉さんが「朝まで生テレビ」に出演することになった。
幸運にも僕はそのとき生放送のテレ朝のスタジオにいた。
待ち合わせは深夜の10時。今でも緊張しながらスタジオ入りしたことを覚えている。
田原総一郎は老いていたし経済オンチだったし、堀●一はヅラだし、小飼弾は支離滅裂だったし、デーブ・スペクターは想像以上にアタマがよかった。
何よりも生放送でのテレビマン、ジャーナリスト、その真剣さに驚いた。
当時、ホリエモンがネットとテレビの融合とか、皆もこぞって言っていたけど、テレビの価値をあの現場で初めて知った。
生放送で時間内に番組を収める。やり直しのきくネットの世界にはない、これこそが壮大なプロジェクトだと思った。
以降3年間、板倉さんやパートナーの皆さん、そして仲間と色々なことを議論し、実行し、学び、笑って、泣いて、酒飲んで吐いた。
僕は投資を学んだのでなく、DCFや企業価値評価(Valuetion)を学んだだけではなく、経済における人の営み、ものの考え方、価値と価格の考え方、何よりも「自分の知らないことをそのままにしておかない」ことを学んだ。
テレビの向こう側、ネットの向こう側は、決して「向こう側」ではないことを認識した。
それは、かけがいのない一生ものの「OS」をインストールしたことに他ならない。
29歳で新しい世界を知り、全てが一変してしまった。
それから3年以上経った08年5月11日、一区切りとなる日に多くの人が来ていた。
僕と、元パートナーの橋口さん、数人で講義を一切聞かず、別室でひたすら寄せ書きの用意に勤しんでいた(笑)
打上げは日曜の晩にも関らず、深夜まで飲みまくった。
なぜか赤坂で並んで吐く P x 2(笑)
ダメな人達である。
さぁ、いくでぇ〜!