最近、集中してやっていることがあり、「
落語」に触れられていないので、自分のキレが鈍っている気がする。
人間はアホなので、すぐ忘れる。
特に僕のような刺激中毒患者は、定期的に刺激に触れていないと死んでしまう。
完全にスリルジャンキー。
サーフィンは毎週欠かさずやっている。
一週でも欠かすと調子が悪い。
15年近くやっているのに、日常生活では、海の上の感覚を忘れる。
なので、毎回新鮮である。
落語。
継続して聞いていないと、あの独特の「間」を忘れる。
「人間の業を肯定する」面白さや、「許容」を忘れる。
大企業でアグラ書いているアホ役員やアホ社員、責任逃れ野郎、小手先の偽者野郎を許せなくなる。
究極、それらも含めて社会なんだろうが。
クルマでスピードを出す。
事故りそう(もしくは捕まりそう)になる。
しばらくおとなしくする⇒忘れてまた繰り返す。
深酒で痛手を負う。
でもまた繰り返す。
本を読む。
アンダーラインを引く。
読み返す。
しばらく経つと忘れる。
再読するととっても新鮮。
映画もそう。
同じ映画を2回目に見ても新鮮。
梅雨である。
もうすぐ夏である。
四季こそが本当に毎年のように新鮮である。
毎年何を着ていたのか?
どこへ行っていたのか?
似たプロセスで思い出し、似た行動をする。
そして、夏は本当に短いということを毎年のように痛感する。
朝起きる。
すべての始まり。
あっという間に夜になる。
また繰り返す。
基本的には人生はその繰り返し。
人間が多くを記憶できないのは、
「新鮮さ」という果実を得るためだけなのか。
もしくは、
単に脳味噌のポテンシャルを使えていないだけであって、
つまり単なる怠慢であって、
「記憶や行動を"努力して"定着させた」人間だけが
その一歩先へ行くことができるのだろうか。
「新しいもの」(新規学習) と 「繰り返し」(復習)
のバランスは難しい。
忘却曲線理論に忠実に沿って生きていけばいいのか?
直感的に、クソつまらない人生になりそうな気がする。
これは答えが出ない気がする。
多分、一生。