友人が某地区の選挙に出ている。
微力ながら、彼を応援をしている。
選挙公示日の翌日、駅前での決起大会にお邪魔した。
魂の震える演説。自然に涙が出た。
大盛り上がりで見守っていたら、友人である我々にもマイクを持ってしゃべって欲しいとのこと。
彼を応援するために集まった、ゆうに100人を越える応援者と、
駅前を通過するたくさんの人の前で、数人が1分間ずつのスピーチをした。
・特に選挙に関心の薄い若い世代に「選挙はヒトゴトではない」こと
・この候補者は、土壇場で「絶対に逃げない男であること」
それだけをしゃべらせてもらった。
駅前演説なんて、当然初の経験だった。
感じたこと。
ビジネスのプレゼンなんて、本当に甘い。
"ホンキの候補者"は、
全身全霊で「自分自身」を「地区の全ての人に【一瞬で】売り込む」必要があるのだ。
しかも全く「自分」のためでなく、「公器」としてだ。
全セグメント、全ターゲット、全方位、瞬間のマーケティング。
「おねがいします」
"ホンキの候補者"の一言には、とてつもない「重み」がある。
そのことを初めて知った。
もちろん、応援する僕らも、一人でも多くの人に彼の良さを分かって欲しい。
ウマい・ヘタはどうでもいい。
パワーポイント?
そんなもんあるわけない。
音響はハウリングしまくりの街宣車のスピーカー。
応援者だって、全身全霊、自分の存在を賭けてスピーチをせねばならない。
一人の友人が言った。
「自分の子供の将来を、安心して預けられる男です」
彼を応援する人々は本当に温かい。
町の人の反応も。
それでも、多くの人の選挙に対する、街宣に対する反応は冷ややかだ。
それは僕がそうであったように、全く批判できるものではない。
でも、やっぱり対岸の火事ではないんだな。
本当に。
僕は随分とこれに気づくのが遅かったが、
気づいている人も、思った以上に多かった。
そしてその波が確実に大きくなりつつあることを感じる。
公職選挙法に抵触する恐れがあるので、詳細は書けませんが、心底 彼を応援しています。
結局、大事なのは
「最後に逃げない奴かどうか」
だけのこと。
自分の利益や目的を求めてのプレゼンテーションでは全くない。
じゃなかったら、睡眠も贅沢も極限まで削ったあの生活を受け入れられるわけがない。
そんなに甘くない。
悟りすら感じる。
彼のような人間が政治家にならずして誰がなるのか。
本当にそう思います。
あと少しだ。
がんばれ。